遺品整理と個人的感情
ここに書かせてもらうのは実際に私が体験した事であります。
先日私の友人が亡くなりました。
今更、相手が私の事をどう思っていたかは定かではありませんが、私は友人の性格や笑顔が大好きでした。
実際に友人になってからの期間は長くないものの、人と仲良くなるのは期間など関係ない事を知ることもできました。
訃報を聞いた時はまるで実感が沸かなかったのですが、時間が経つと共に二度と友人と会ったり話したり出来ないのかと思うとやりきれない気持ちになります。
家が遠かったので会う機会は少なかったものの、今になってもっと沢山の事を話せば良かったと後悔しております。
友人が亡くなってから数日後に、気を抜いていた所に友人を思い出してしまったので、思わず涙が零れ、そのまま嗚咽が止まらずに目が腫れるまで泣いてしまったのです。
自分自身では、結構ドライな性格をしていると思っていたのですが、まさかこの年になって号泣する事になるとは思ってしませんでした。
遺品整理の話しを取り扱っている内に思い出してしまったので、個人的感情を書き込んでしまいすみません。
冥福をお祈り致します。
遺品整理と気の持ちよう
遺品整理とは、故人の持ち物を扱うものでありますので、行う側も大変気を使う物であります。
特に、故人が思い入れをもって取り扱っていたものは気を使います。
故人を火葬する際に、お櫃に入れる事もできますが、もしも、お櫃に入れられない物だったりした場合は、形見として残しておくか処分するしかありません。
この時に、故人と故人の持ち物を混同してしまう人がいますが、物はあくまで物であります。
故人の形見を無くしてしまい、二度故人を亡くしてしまった様な気になってしまい、精神的に病んでしまった人を知っていますが、故人はその様な事を望んでいないはずです。
遺品整理は残された人間のために行う事でありますので、形見として傍らにおいておく事もあっさり処分するのも、残された人間が決めれば良いのです。
取りようによっては薄情な言葉に聞こえるかもしれませんが、死人は泣きもしないし笑いもしません。
ある言葉に、「例え母が死んだとしても、私は今日を生き明日は笑うだろう」というものもあります。
故人を悲しむのは良いですが、残された人間は生きていくしかありませんので、センチメンタルに流されてしまわずに、しっかりと今日を生きましょう。